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Y's cafe 五代目社長の眼

「人々は立ち上がるものだ。 たとえ危険を冒しても…」

たくさんのニュースがあった夏の一日、ひとりの映画監督が逝った。
俳優で映画監督のリチャード・アッテンボロー。彼はいつも驚くほどの大群衆のカットを撮る。おびただしい数の人がフレームを埋め尽くす刹那。「ガンジー」「遠すぎた橋」。史実をベースにした作品の多くには真実のストーリーにおけるリアリズムをより強い劇的空間と丹念な人物造形で描き、人の弱み、痛みなどを骨太に織り込んだ作風が多く、好きな監督の一人であった。
彼の1987年の作品「遠い夜明け」(原題:CRY FREEDOM)は自分が何度かアフリカへ取材に赴いた時期とも重なるので何度も観ている。
舞台はアパルトヘイトの嵐が吹き荒れる70年代の南アフリカ。デンゼル・ワシントン演じる黒人解放活動家スティーブン・ビコとケヴィン・クラインが演じる地元新聞の白人記者ドナルド・ウッズの交友を軸に、友のメッセージを伝えようと危険を冒して出国を企てる男たちの熱き友情の物語である。映画の中で、アフリカの荒涼とした道を赤い砂塵を巻き上げて疾走する白い〈縦目〉のベンツに魅せられた。ヘッドライトが車の前面の両サイドに縦に並んでいるので〈縦目〉である。W115のセダン、ディーゼルタイプだったと思う。確かに、ランクルやレンジローバー、ジープ、ピックアップトラックが似合うアフリカだが、実際に行ってみると中古のベンツがかなり走っていて妙に風景に溶け込んでいる。日本に戻ってから友人や中古ディーラーに相談すると、僕のようなおよそずぼらな人間は〈縦目〉のような車には合わない、やれレストアが、やれスペアパーツがとさんざん。言われれば言われるほど憧れの一台になった。結局〈縦目〉には乗っていないが、今でも街中で〈縦目〉が颯爽と走るのを見かけると、丁寧に乗っている車の持ち主の愛情深さに心の中でエールを送っている。

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何回か前のこの稿でかつてのラジオ深夜放送について書いたら反響が多く、それも同世代の方からの好評をたくさん頂戴した。その中に、次は「車」について書いてくれないかと熱いリクエストがあった。若者たちの車離れのライフスタイルからは想像できないかもしれないが、僕たちは熱い「車」の時代に育てられた。

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後部座席に座って車窓に流れる風景を追い、最初に車に乗った思い出は叔父が運転する「プリンス」だったように記憶している。ドアのはしにある三角窓の一つが開いていて風切音が強かった。夏の朝、叔父が洗車するために伸ばした長いホースからアーチ状に飛び出した水が真珠色系シルバーの車体の上に舞うと、霧状になった水のカーテンにまぶしい日差しがクロスして丸く小さな虹がかかるのを不思議な光景として見とれていた。プリンス系の車は後ろ側のフォルムも評判で両端が尖ったブレーキランプの脇に立ちながら叔父はよくこの車は“バックシャン”だと自慢していた。ある時、都内を走っていた時に「ほら、キュウジョウが見えて来たよ」とハンドルを握る叔父が言う。たしかにフロントガラス越しにこんもりとした緑が見えてきた。当時、忙しい父にせがんで度々、後楽園球場や千住のオバケ煙突の近くにあった東京球場に連れていってもらっていたので、僕は叔父に「何球場なの? 後楽園?」と後部座席から精一杯のびをして尋ねた。叔父は「ヨットは冗談がうまいなあ、ここは皇居だよ」と大笑いする。“キュウジョウ”が“宮城”のことだと知るのはしばらくたってからのことである。以来、球場と聞くたびに緑の風景が思いだされてならない。叔父は車好きだったのでその後、飴色や濃紺のブルーバードを乗り継いでいた。

当時、街には気になる個性的な車がたくさん走っていた。黄色が似合うパブリカ、白がまぶしいコロナクラウン、日産セドリック、ダイハツミゼット。あ、思い出した。小学校の隣のクラスの担任だった土屋先生がスバル360の中古を手に入れ学校へ通勤してきていた。まだまだおおらかな時代で下校時には校内に駐車してある先生の真新しい車の出現に、生徒たちはいつまでも丸い小さな車体を取り囲んではみとれていた。土屋先生の車は助手席側ドアの閉まりが悪く、キチンと閉めても少し浮いてしまい完全に閉まらない。よく見るとバンパーの端が太めの針金でぐるぐる巻いてあり落ちないように手当されている。子ども心に見てはならないものを見てしまった気がした。ホンダS800、トヨタ2000GTなどの時代を駆ける名車は別格で黒塗りの日産グロリアという大型車が威風堂々と走っていた。

子どものおもちゃではミニカーブームも盛んで、私はダットサンフェアレディZの一台きりしか持っていなかったが、分解できる構造だったのでドアやトランクをはずし、タイヤ、パーツを分けるとまた組み立てる。それを何度も繰り返す。僕たちの「車」が手にする自由な世界だった。

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18歳で運転免許を取るために教習所へ通った。当時は教習所の教官ものんびりしたもので、ある中年ひげ教官はいつも教習で僕の隣に座る時、必ず、雑誌を持ち込んできた。たしかに教習所の所内で初歩の段階の運転教習に一時間付き合うのは、忍耐がいるのかもしれない。教習時間の終わりが近づくと教官は走るコースを指定して前方の安全確認を注意しながら、いつも同じ雑誌を取り出しては見るでもなく、見ないでもなく。僕がジロジロ見るので教官もさすがに気づいたららしく、雑誌を片手で持ち上げると「深いんだよ、この世界は」と言って笑う。テレビマンユニオンの大先輩、鶴野徹太郎さんのようないきなりニヒルな横顔だ。肝心の何の雑誌かわからない。ある日、教習を終えて教官が先に車を降りると助手席にいつもの雑誌が残されていた。表紙を見ると桃色の花が可憐に咲いている。“月刊つつじ”だったと思う。ひげ中年おやじが、何故、つつじの雑誌を読んでいるのかわからなかった。帰り道、本屋で同じ雑誌を探して手に取ってみた。つつじの自家植えについてとか、土や肥料の配分とか、チンプンカンプン。早く免許を取って海に行くことだけを夢想していた少年にとっては、つつじのどこがそんなに深いのか全く理解できず、祖母に話したら、花を愛する人はいい人よ、などと18歳にとっては実感の湧かない感想でチャンチャン。仮免試験の日、いくぶん緊張しながら所内で事前に渡された仮免コースのルート地図と所内コースの標識などを見比べて順番待ちの長椅子に座ってぼんやりしていたら、あの例のひげ教官が助手席で教習する車が前を通った。やはり、“つつじ”を読んでいた。なんとなく、緊張がほぐれて、仮免は一発合格だった。やはりいい人だったのだろうか。

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いすゞベレット、マツダファミリア、トヨタスポーツ800。対決! スーパーカークイズはナレーターが野沢那智さんで切れ味良かった! コルト、サバンナGTX。学生の時、車二台で伊豆の海に繰り出そうと友人の野口君がスポーツ仕様のギャランGTOで颯爽と登場。見知らぬ白いクラウンのオバサンにぶつけられ、GTOの野口君、割れて地面に散らばるフォグランプがかわいそうにと言いながら丁寧に拾ってたな。車を大切にする奴は意外にいいやつだと思う。カローラレビン、リフトバック、トラクタブルライトが顔を出し点灯する瞬間がいいRX‐7、セリカ、ダブルX、117クーペ 、イタリアデザイン界の巨匠ジウジアーロがデザインしたピアッツアのスマートなボディー、シルビア、エンジンルームを見ていても楽しいシビック、CMが一世を風靡したシティ、フロントグリルに高級感あるロータリーエンジンのコスモ、お元気ですかのセフィーロはよく走る、カリーナ、CRX、スタリオン、インテグラ…。野口君は今、何に乗っているのだろう?

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小林正樹は、サーブの前は長くワインカラーのガルウィングの3ドアクーペのトヨタセラだった。ガルウイングの中でも、たしかバタフライウィングという形式でフェラーリやマクラーレンと同じドア構造が自慢だが、そのボディー上半分がセミスモークスタイルで透明なことから、
“金魚鉢”とよばれていた。
信号待ちでタッパのある巨体トラックが隣に並ぶと上からジロジロ見られているようで、いや、見られているのでどうにも恥ずかしかったといいながら、いつも車を走らせていた。
キーを片手に手を振りて笑顔残し夏に走り去る君。
合掌。
さあ、車で出かけよう!
(加藤義人)

(2014年9月)