合津 直枝 プロデューサー&ディレクター&脚本&映画監督&舞台演出

1976年、テレビマンユニオン参加。 1995年、映画「幻の光」(企画/プロデュース):ヴェネチア映画祭金のオゼッラ賞、藤本賞。 1998年、映画「落下する夕方」(監督/脚本/プロデュース):ベルリン映画祭出品、新藤兼人賞銀賞。 1999年、ドキュメンタリー「1999・大島渚・映画と生きる」(撮影/演出/P):ヴェネチア映画祭上映。 2013年、NHK連続ドラマ「書店員ミチルの身の上話」全10話(演出/脚本/プロデュース)。 2016年、舞台「乳房」「檀」(台本/演出)。

流れ、流れて…。

大学卒業時は、「オイルショック」の真っ只中。<4大/地方出身女子>の就職は困難を極め、就職試験さえ受けられないような有様。(林真理子さんの初期エッセイに詳しい)わずかに受験できた出版社と放送局2つにフラれ、テレビマンユニオン試験にも落ち、アルバイトの形で参加。
最初の仕事は、「オーケストラがやって来た」のAPA(アシスタントプロデュ―サーのアシスタント)。ギャラは月7万余円。収録に際して150万円預かり、移動のチケット、お弁当の手配するのが主な仕事。萩元晴彦Pは言った。「あなたは7万円の仕事をしているのではありません。150万円の仕事をしているのです!」と。神戸での収録後の夕食に中華料理屋を予約、中継チームを率いて店に着くと、「トレビアンユニオン ローズ様ご一行」(!!!)の看板が。これは生涯のテッパンネタ。
そんな修行時代を経ても、なかなか自分の企画が採択されることがなく、やっと決まった終戦特番2時間ドラマの放送日のこと。組閣の速報がドラマ中に流れた。○○大臣△△△△ ××大臣□□□□…主演俳優のアップにもおかまいなしに延々と。自分が半年かけて仕上げたドラマが、組閣速報の下絵に成り下がってしまったことにひどく傷つく。「この時間には絶対これを見る」と能動的にかかわってくれるお客さんに向けて作品をつくろう、と決める。
「そうだ、映画をつくろう!」
原作は、宮本輝さん初期の中編「幻の光」に決めた。若くして夫に自死された未亡人の痛恨のひとり語り。宮本さんから1000円(!)で原作権を譲りうけるも、新人監督、新人女優という企画に、4年かけても資金は一銭も集まらず。たまたま舞台「奇跡の人」で9000万の黒字をつくったことが幸いし、全額テレビマンユニオン出資映画となる。初試写の日、ほとんどの人が口をつぐんで会場を去っていく。「かわいそうに…こんな地味な映画つくちゃって…」と同情しきりの顔顔顔。が、ヴェネチア映画祭で3位レベルの賞を受賞して帰国すると、日本中が手のひらを返した。「スゴイ映画だと、思ってたんだ」と。
5年間ドロドロになって「幻の光」に尽くしたが、映画プロデュ―サーは、いつの間にか「透明な存在」になっていた。「成功も失敗も、自分の責任」の方が心地いい、と気づく。映画「落下する夕方」で、脚本、演出、プロデュース、これが初演出初脚本。参加した高崎映画祭で、脳梗塞の後遺症が残る躰で映画を撮る大島渚の現場がはじまる―を知る。「これは記録しておかなければ!」と、毎週たったひとり深夜バスで京都に通う。器械オンチの初撮影。大島監督からは、「密着どころじゃない、接着取材だ」とあきれられる。
ずっとプロデューサーで、と思ってきたが、この映画とドキュメンタリーの経験が、自分を解放した。「経験の無さに、気後れすることはない」
2013年、夢だった連続ドラマ(3ヶ月、見る人の歴史の一部になれる)を手がける。「書店員ミチルの身の上話」全10話の脚本、演出、プロデュースは、テレビ屋として「アガリ」かな、という思いから、今は、小規模舞台の演出に熱中、ナマの達成感は、また格別だ。
TRY&ERRORの連続。はて、これからどこに流れてゆくのか…。

阿由葉 聡子 ロケ&スタジオディレクター

武蔵野美術大学映像学科卒業後、2005年よりテレビマンユニオンに参加。今年で放送31年目のTBS「世界ふしぎ発見!」には、気づけは10年携わっており、現在はロケ&スタジオディレクターをしています。
また、昨年10月から放送しているBS朝日「金曜日くらい褒められたい」では、ディレクターとして番組の立ち上げに携わりました。ふしぎ発見のように、長く愛される番組に育てるべく奮闘中。2歳の男児も育てています。

仕事を生業にして《どう暮らしていくか》

初めての海外ロケは、入社1年目のAD時代、「世界ウルルン滞在記」という番組で行ったトルコでした。リポーターが世界のどこかにホームステイする番組です。慣れないことばかりで、一から十まで先輩ディレクターに教わりながら、何とか2週間を生き延び、いよいよ家族とのお別れという時、私はリポーター以上に大泣きし、カメラの後でエグエグ嗚咽を漏らしていました。とても良くしてくれたステイ先の家族と別れる寂しさも勿論あったけれど、あのとてつもない感動の波の正体は何だったのか。
後から考えてみると、人々の営みへの感動だったように思います。例えば、羊を育てること、パンを焼くこと、子どもの世話をすること、家を修繕すること…。無数の小さな営みが連なり、今この瞬間の暮らしを紡ぎ出したことに感動したように思います。今、この瞬間の普通の暮らしがとても尊いと気づいた最初の体験だったかもしれません。そしてその感動のひとひらを番組、コンテンツにするのがディレクターの仕事だと、自分なりに考えてきました。
あれから11年が経とうとしています。私もディレクターとして何とか食べていけるようになり、伴侶を得て、子どもも産まれました。
11年間この仕事に夢中ですが、しかし、自分が仕事だけの人間にならないように、いつも注意を払ってきました。
なぜなら、意識して丁寧に暮らすとか、自分が大切だと思う人に丁寧に接するとか、自分自身を丁寧に扱うとか、そうしたことが何より大事だということを、私は番組の取材で出会った様々な人の営みから、学んだからです。
今、就活中の皆さんにも、どんな仕事でも、その仕事を生業にして《どう暮らしていくか》を、まず想像してほしいと思います。
私は今、仕事が全てにはなり得ない状況で働いています。子どもはまだ小さいし、どうしたって家族最優先です。そうなって気づいたテレビマンユニオンの良さは「仕事よりコレが大事」と、言うも言わぬも自分の裁量だということです。総活躍とか女性が輝くとか、そんなものは号令がかかってからするもんじゃない、という態度の組織です。だから、チャンスさえ掴めば、自分の好きなことで仕事を生み出せるかもしれない。がむしゃらに働きたければそれも良し。無理に輝きを放たなくともOKです。自分がどうしたいか考えながら、色々な選択をしながら働くには、良い環境だと感じています。
もし、テレビマンユニオンというコンテンツメーカーに興味があれば、そこで自分が何を作り、どう暮らしていくかを、想像してみてください。そして、仕事も暮らしも理想を持ち、その理想に向かえる人に、ぜひ仲間になってほしいと願っています。

宇都 浩一郎 ディレクター

2000年テレビマンユニオン参加。20代から30代にかけて『世界ウルルン滞在記』を22本演出。その後は、〔紀行〕〔人物密着〕〔歴史〕〔音楽〕〔科学〕などジャンル・硬軟を問わず100本近くの番組をディレクション。テレビ以外にも、上海万博のイベント演出や、Yahoo!ニュースのウェブコンテンツ制作などさまざまなプロジェクトに参画する。

広く浅く、ところにより深く

「なぜ、テレビの世界に入ったんですか?」と問われた時は、こう答えることにしています。「雑食な性格が、テレビっぽいかなと思いまして。」

テレビマンユニオンの採用試験でエントリーシートに書いた“私のモットー”を、この文章のタイトルにしてみました。僕は映像やメディアの勉強をしてきたわけでもなく、人並みに、テレビも好き、映画も好き、音楽も好き、演劇も好き、本も好き、旅も好き、そんな平凡な学生でした。
突出した専門性があれば、就活では目立てます。売りになります。
専門が無いことは、僕のコンプレックスでした。大学の学部は「総合人間学部」…何でもありの分野横断的バラエティーを謳う新設学部でした。つまり大学受験時にも専門分野を決めなかった。そして学生生活を通じて、モラトリアムを謳歌しちゃった。じゃあもう開き直ろう。雑食上等。「専門分野はありません。いろんなものを好きになります。時々、深みにはまります。」――そんなやつを、テレビマンユニオンは仲間に入れてくれました。

いま就活真っただ中のみなさんは、自分の売りは何だろうと自問自答していることと思います。「やばいなあ、別にこれといって売りとかないなあ」という僕のような方々も少なくないと思います。そんなみなさんに、肩の力を少しでも抜いてもらえればと、曲がりなりにも17年近くテレビ番組を中心に仕事をしてきた経験から「この仕事、どんな人が向いているんだろう」と考えながら綴ってみます。

ものすごくシンプルに結論から言うと、「面白がる力」と「伝える力」。
この2つを、自分はどのくらい持っているのか考えてみてください。
どちらかでも自信があれば、この仕事、一生楽しめる…かもしれません。

まずは、「面白がる力」。
森羅万象を相手に面白がるのが仕事です。だから雑食で全然OKなんですが、ただ手広いだけの「何でも屋」とは、ちょっと違うんです。
今取材している題材や人物について、その都度、「専門家」になる覚悟が必要不可欠なんです。その世界の住人の気持ちにちょっとでも近づきたいから。情熱やプライドにシンクロしたいから。理解するなんておこがましいけれど、せめて想像し感じ取るヨスガをつかみたいから。毎回手さぐりで悩みもがいて相手に近づこうとします。「自分の頭で、自分の気持ちで面白がる」ことができないと、通り一遍の番組にしかなりません。「何でも面白がる」こと、「何かを面白がり続ける」こと、これ実は、けっこう気力や体力が必要なんです。だからこそ、「面白い」と思ったことが「伝わった」時の喜びは何にも代えがたいんでしょう。
では「伝える力」って何だろう。これはテクニカルな上手い下手ではないのかもしれない、と思っています。センスが良く、立て板に水のような語り口でも「伝わってこない」番組がある。逆に、とても訥弁なんだけど「伝わる」番組もある。実は「伝える力」なんてものは幻想で、「伝わる」深度まで辿り着く精神力、つまり「どのレベルで面白がるか」が大事なんじゃないかと思います。
言い換えると、「広く浅く」面白がっているだけじゃ、毒にも薬にもならないんです。クイックに「へぇー」と言える“雑学”だけ並べても、次の瞬間消えていく。テレビは、次の瞬間消えていく現在にすぎないことは百も承知で、それでも記憶に残るものを作りたい。…そう考える作り手がテレビマンユニオンには多いと感じます。深みに達し、分かりやすく伝えよ。そんなソフトが、世の中をちょっと面白くするのだ…そんな気概に満ちています。
17年前、“私のモットー”に「深く」と付け足していなかったら、僕は今頃ここにいなかったんだろうと思います。
あなたの好奇心の「幅」と「深さ」をテレビマンユニオンにぶつけてください。
あなたの好奇心が「テレビ番組」に収まりきらない時は、新しい枠組みを一緒に考えたい。そんな仲間が待っています。

大竹紀郎 アシスタントディレクター&フロアディレクター

2015年、テレビマンユニオンに参加。1年目はNHK「サラメシ」TBS「世界ふしぎ発見!」を経験。 2年目の現在NHK「グッと!スポーツ」アシスタントディレクターとNHK「めざせ オリンピアン」フロアディレクターをしています。

未だに少年誌に憧れる新人のすべて

テレビマンユニオンに入りたいと思ったのは中学生の頃だった。
きっかけは逃げからだったと今になって思う。
当時プロを目指して、ボールを追っかけるサッカー少年だった。
でもジュニアユースに入り、チームメイトとの競争に嫌気が差して、ものの見事に挫折した。
夢なんてものがいとも容易くなくなった時に父に連れられて観に行った映画が、テレビマンユニオンに入りたいと思ったきっかけだった。
テレビマンユニオン出身の是枝裕和監督の「花よりもなほ」という作品。
父とはよく映画を観に行っていたが、父が初めて私の前で「いい映画だな」と言ったことが衝撃的で憧れた。
つまり純粋に自分の意思で志した訳ではなく「すごいと言われる監督がいて、育った会社なら、自分も同じようになれるんじゃないか?」と思うようになっただけ。
自分でも分かるくらいにあまりにもミーハーで、なにも考えていない理由だから、このことは誰にも話したことはない。
ボールを追いかける以外に見つかった初めての目標だったから、私にはそれだけが理由で良かった。

かといってそれから特別な努力なんてしていない。
一度挫折してから逃げ癖が染みついてしまっていた。
高校に入っても映像研究部がなかったことを言い訳にして、映像を撮って来たわけでもなかった。自分で勝手に立てた穴埋めの目標にただただ悶々する日々を過ごし続けて、映像系の大学に入ってやっと作品を撮り始めた。ようやく一歩目にたどり着いたようだけど、大学だって受験勉強が嫌だったからに過ぎない。
相変わらず具体的に何をやりたいのかはわからないままだった。


そんなぬるい感じで生きつつも、やってきてしまうのが就職面接。
テレビマンユニオンは最前線で活躍するディレクターやプロデューサーの方々が面接官。
そんな歴戦の猛者たちに「ずっと映像を志してきました!自分は使える人間です!」と挑む自信なんて到底あるはずもない。
怯えに怯えて、いざ対面した時に最初に言われたのが「仲間を探しています」という、ちょっと青春っぽくて、自分では言いたくても言えない様な恥ずかしい言葉だった。
その時、私は就職活動と並行して卒業制作のドキュメンタリー映画を撮っていた。
どうしていいかわからずフラフラしてしまっていた撮影状況。
「このままでいいのか?」それだけは悩み続けていた。
「仲間になりたい」なんて恥ずかしいことを真顔で言う人達ならと思い、その作品づくりでの悩みを面接で質問してみたら、大の大人たちが真剣に答えてくれて、しかも結構なダメ出しまで食らった。
映像を志してから初めてゾクゾクした。
この大人たちは好きなものに真剣過ぎて、しかも仲間とか少年誌みたいなことを恥ずかしげもなく言っちゃう、カッコイイ人たちだったから。
もう訳なんて分からないけど、「仲間になりたい!」とはっきり自分の意志で思った。

参加した後は正直しんどいことも多いし、相変わらず自信のある武器があるわけでもない。
会社の中では当たり前のように自分はモブキャラでしかないと痛感する日々。
今のままで目標の自分になれるか不安になって、何度かやめようか考えたこともある。
でも日に日にムクムクと何かが芽生えてきている気がしている。
自分の為にも仲間になるためにも、もう挫折に負けるつもりは毛頭ない。
逃げ続けた人生だったけど、この会社で強くなって、仲間思いで、努力家で、何度も何度も立ち上がる。
そんな主人公の一人になりたいと強く強く思っている。

久保 枝里紗 アシスタントディレクター

1992年東京生まれ。2015年テレビマンユニオン参加。TBS「世界ふしぎ発見!」などのADを経て、現在はNHK「サラメシ」のADを担当。

しりたい、みたい、ききたい、いいたい!

私は入社2年目でアシスタントディレクターをしています。
働いていくなかでこの会社はいいなあと思っていることが2つあります。

1つは知らない世界に出会う感動を知ることができることです。

テレビを見るなんてもう古いという人がいるかもしれません。
でもテレビに映し出される
そこで生きている人たちの汗や涙や笑顔のとうとさは
きっといつの世界も変わらないのでは、と感じています。
私だってtwitterもFacebookもNaverまとめもyoutubeも毎日のように見て
面白くてスゴイ情報には飽き飽きしているけれど
この2年間、仕事を通してさまざまな人や出来事に出会うたびに、その人の生き方に驚いたり、感動したりしてしまい、その感動が尽きることがないのです。

最近はNHK「サラメシ」という番組に所属していて
人様のお昼ごはんをのぞきまくりながら
働くこと、生きることをたくさんの大人から学んでいるのですが、
お昼ごはんを食べて働いている人、つまりあまたいる普通の人たちのドキュメンタリーなのに毎回毎回、取材するたびに「へー!」「ほー!」「そんなことがあるのか!」と感動してやみません。
誰かよりすごいなんて、トクベツな存在じゃなくても一生懸命生きている人がここにいるということを知るだけで、心がきゅんとなるような勇気をもらえるような気がするのです。
自分の知らない輝きに出会うことの感動は、この会社で働くまで知らなかった気持ちです。

もう1ついいなと思ったことは自由があるということです。

テレビマンユニオンでよく聞かれる質問が
「あなたはどうしたいの?」「あなたはどう考えるの?」 これは入社したときから問われ続けます。
何をするかは自分で決めていい、という自由がある。
でもそれは自分に全部かえってくるからその問いはいつも重く私を悩ませます。

それでもここでは、「君の言っていること、よくわかんないよ」と言いながら
一緒に悩んだり考えてくれる人がたくさんいます。
そしてその自由をもって、活躍しているユニークな人たちがたくさんいます。

自分の感じること、好きなことは、そのままでいい、ということがこの会社に入って
一番よかったなと思うことです。

日々、思うように仕事が出来ない、伝えられない、悔しいなあと思いつつ、
それでもがんばりたい!と思い続けられているのはそういう人たちがここにいるからだと思います。

佐藤 善木 ディレクター

1986年、テレビマンユニオンに参加。NHK『ツレがうつになりまして』『玉音放送を作った男たち』等を演出。YTV『怪物』を企画・製作。劇場映画『押切』の監督&脚本を務める。

テレビマンユニオンへの道~私のローグ・ワン・ストーリー

元々映画やドラマが好きで、中でもゴジラやウルトラマンなどのSF特撮モノを愛好していました。勿論怪獣それ自体も好きなのですが、怪獣がいるような非日常の世界だからこそ描けるテーマ性、メッセージ性というものがあるように思い、それに強く魅かれていたんです。
大学では8mm自主映画を撮っていたんですが、新卒の就職試験は全敗してしまい、映像関連の学校に通いながら浪人することにしたんです。丁度テレビマンユニオンの創立者である村木良彦氏が、TBSの大山勝美氏(『ふぞろいの林檎たち』プロデューサー)とメディアワークショップというメディア私塾を創設したので、そこに入ることにしました。
ワークショップに入ったのは、『ふぞろいの林檎たち』の視聴者だったことと、講師として『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』で異色作を監督していた実相寺昭雄氏(ちゃぶ台で胡座をかくメトロン星人の描写が有名)が参加されていたことが理由で、テレビマンユニオンへの関心は、それほど深くはありませんでした。ユニオンというと知的なドキュメンタリーや歴史ドラマの印象が強かったし、僕が好むジャンルとは縁遠い気もしていたしね。
ワークショップ在籍中、ユニオンがゴジラを扱った番組を見たのですが、僕は「ゴジラの解釈が間違っている」 と言って,抗議した記憶があります(笑)。
そんな調子でしたから、ユニオンの採用試験を受ける気はあまりなくて、かといって、どこの会社なら良いというアテもなくて、何か宙ぶらりんにしてたんですけどね。
そんな頃、ユニオンの人と、試験について話す機会があり、僕は「ユニオンの番組は、僕の作りたい番組とは違う気がするし」みたいなことを言っちゃったんですよ。するとその人は「そういうのは、入ったら自分で変えていける会社だと思うよ」と、言ったんですね。
聞けば、ユニオンにはメンバー制という独自の組織形態があり、個々のメンバーの自主性、自立性が尊重されているということで。番組企画についても、自由に提案し、実現させていける土壌があるということでした。
実際、当時ユニオンには、新人メンバーでありながら、小説家デビューして、ラジオ番組を企画・製作していた人がいたんですよ。他の会社では、あまり考えられないことでした。今やっている番組で見るのではなく、これからやっていける可能性というか、創造していける「場」として考えると、とても良い環境ではないかなと、急に思い始めましたね。それで、ユニオンの採用試験を受けることにしたんです。
試験中、僕は「是非、子供番組をやりたいです」と訴え、それが心に止まった試験委員の人もいたらしく、新人として採用されることになりました。もっともその人は、子供番組と聞いて『ポンキッキ』みたいなモノを想像したらしく、それが『ウルトラマン』だとは、思ってもみなかったようですが。だますつもりはなかったですけどね(笑)
入社4年目の冬に、深夜帯でSFホラー・ドラマの企画を実現させ、ドラマ演出デビューをしました。その後、社外業務でしたが、ホラー映画の監督も務めました。
近年でいうと、読売テレビで放送した『怪物』(出演・佐藤浩市、向井理、多部未華子ほか)は、物質をDNAレベルまで分解する処理装置を使って、完全犯罪を目論む男の物語で、自分が目指していたテイストの作品だったと思います。
そう書くと順調そうだけど、「質量ともに、まだまだやり足りない、やり切れていない」という思いでいるのが、実際のところではあります。ただ、入社した時と同じ目標、同じ気持ちでいられることは、この会社の良いところだとは思っています。誰かに「そんなこと考えるのやめろよ」と止められなかった、ということですからね。
一方で、会社の中で、人との交わりの中で、違う可能性を広げていくということもありました。
前に書いた通り、歴史ドラマやドキュメンタリー・ドラマには興味が薄かったんですが、人に頼まれてやってみると、面白いことがわかりましたね。歴史がドラマチックな題材の宝庫であることに気づいたこともあります。そして、ドラマというものには、ジャンルを問わず、何か共通して、通低して求められる要素があり、そこを満たしていく作業においては、歴史ドラマだろうと、怪獣モノだろうと、青春ドラマだろうと、変わりがないことに気づいた、という側面もあります。
2015年にNHKに『玉音放送を作った男たち』(出演・柄本明,原田三枝子、高橋一生ほか)という企画を提案し、実現させたのも、そういう背景があってのことでしょう。
だから今では、ドラマならどんなジャンルでもやりたいという気持ちもあるのですが、その一方で『シン・ゴジラ』などという作品が出現して以降、どうにも平常心でいられなくなっていることも、また事実なのでありますよ(笑)

國分 禎雄 プロデューサー&ディレクター

1993年 テレビマンユニオン参加。TBS「世界ふしぎ発見!」。TBS「神々の詩」高柳記念奨励賞。BSジャパン「水木しげるのゲゲゲ幸福論」ギャラクシー賞 選奨。 NHK「BS歴史館」ギャラクシー賞 奨励賞(プロデューサー)。MBS「ホムカミ」。NHK「グッと!スポーツ」。

ユニオンには「人事異動」がない―

テレビマンユニオンには、基本、「人事異動」がありません。だから毎年5~6月頃、よその放送業界の人たちが、一斉に「誰が偉くなる」「私は○○行きだ」などと噂し始めると、「まさにザ・サラリーマン社会だなぁ」と不思議な気持ちに囚われます。それを横目に「なんか“運命のお告げ”みたいでドラマチックだなあ」と憧れる反面、全ての人事が現場で決まっていくユニオンのボトムアップ・システムを、どこか誇りに思ったりもします。

ユニオンには「人事異動」がない――プロデューサー、ディレクター、アシスタントディレクター…「番組における役割」は当然ありますが、入ってある期間を過ぎると、トップダウンで「お前はこの番組のこの担当をやれ」と命令されることはありません。「やってもらえるか?」⇒「はいやります」もしくは「いいえ、やりません」…全てはお互いの合意のもとに仕事が託されます。だから、自分がどんなテレビマンになりたいか、どんな番組に携わっていくか、自分の仕事人生をどう描いていくか、最終的には自分で決めていかねばなりません。

これは自由でありながらなかなか怖い事でもあります。なぜなら、選択の自由はあるとはいえ、もちろん仕事には需要と供給がある。仕事を得るには信頼が必要だからです。その信頼が、社内評価の事もあれば、社会の市場評価であることも多いというのが面白い所。

思い返せば、右も左もわからずTV業界に入った新人時代。私は「世界・ふしぎ発見」に配属され、ごたぶんに漏れず、デキないADでした。仕事ができないのにプライドだけは高く、先輩Dに「お前このままだとヤバいぞ」と言われ、ゾクッとしたのを今でも鮮明に覚えています。でも、誰にでもチャンスは訪れます。そう誰にでも。私の場合、ある優秀なベテランディレクターに任された「ふしぎ発見」海外ロケのロケハンでした。ディレクターの構成した台本をもとに、海外ロケの仕込を全部任され、一人現地に飛んでコーディネイターと一緒に下見して回る…ロケ場所から、クイズの裏取りから、泊まる場所まで全て整えてロケ隊を迎える…という役割です。人は託されると成長する…少しずつ信頼された私は、いつしか年の3分の1は海外を飛び回るようになりました。これがどれほど自分の自信になった事か。やがてディレクターデビュー。自分を表現するって苦しかった…。あれから20年あまり、テレビ朝日のスペシャルで大沢たかおさんと南米を旅したり、水木しげるさんとパプアニューギニアに行ったり、いろんなことがありました。で、今は、嵐の相葉雅紀さんとNHKで毎週スポーツ番組をやっています。

何が成長のきっかけになるか、何が信頼のきっかけになるかは、ホントに人それぞれだと思います。そしてユニオンでは、それが直属の上司との人間関係だけに囚われないというのがユニークな所。ユニオンが今なお、バラエティに富んだ演出家を輩出し続ける所以だと思います。
ユニオンって、個人の集合体でありながら、組織全体のことも考える、そこがとてもいい組織だなと思います。

加藤 義人 ディレクター&プロデューサー&代表取締役社長

「淋しいのはお前だけじゃない」「2丁目3番地」「幻の町」「プレイガール」「だいこんの花」「男たちの旅路」「俺たちの旅」「岸辺のアルバム」「天皇の世紀」

“旅と缶けり”好きなら…

子どもの頃から、学生時代の頃まで好きだったドラマの名前はすぐに出てくる。
きっと、私が見ていたのは役者の巧みな芝居、卓抜した脚本、ワクワクさせるエンタテイメントの魅力もありますが、何より、それぞれの番組が持つ「時代の気配」のようなものだったのだと思います。テレビマンユニオンに興味を持ったのは、とりわけ「伝えること」に工夫を凝らし腐心している集団で新しいことにチャレンジしているのに、どこか手作り感のある朴訥さと直球な感覚が映像の中に感じられたからです。

映像をめざす若い世代に望みたいことがあります。
あなたの創るものをあなたたちの次の世代は確実に見て成長する。ゆえに、映像のプロフェッショナルとなるものは「次世代の人を創る仕事」であるという使命も忘れてはならないのです。では、映像のプロフェッショナルとは何か?

ひとつのことを徹底的に考え抜く。
ぼくはよく子どもの遊び「缶けり」に例えます。
ある日、空は晴れて輝いた青空は抜けるように高い。
ぼくは「缶」を一つ持って出かけます。
「◯◯君、缶けり、しよう!」
一人一人、声をかけながら広場に走ります。
空き地の真ん中、「缶」の回りに近所の子どもたちが集まってきました。
滑り台の向こうと体育館の裏はダメ、などとその日のルールが決まります。
カーン!と友達が蹴った桃の缶詰の空き缶は鉄棒脇の桜の木の根元まで飛んで行きました。力余って彼のズックも一緒に飛んで大笑いです。上級生も下級生も大騒ぎしながら四方へ散っていきます。
楽しい時間はなぜ早く過ぎていくのでしょう。
ピアノの稽古があるからと一人の下級生が帰っていきました。
その後も塾やそろばんの時間が来ると、一人、また一人抜けていきます。
広場の周囲の家々が夕陽に真っ赤に染まる頃になると、買い物かごを下げた誰かのお母さんが、いい加減にしなさいと、友だちひとりを連れ帰り、あっけなくイチぬけ。そろばんやお習字、お腹が空いた。なんとなく一人ぬけ二人ぬけ、じゃあねの時間がやってきます。最後の3人が遊び疲れて、「缶けり」はしまいです。
ぼくは、「缶」を拾って家へ帰ります。
「缶」を持ち、誰よりも先に広場に向かい、大熱狂して、一番最後に「缶」を持ち帰る。
時間の長さではありません。

人より長く、深く、考えること。
考えて考えて、多くの人がイチぬけた、となってもひたすら考え抜く。
悩みにぶつかると不安です。どうしていい考えが浮かばぬのだろう。
出口が見つからず自己嫌悪に陥る。正直、そんなことばかりを繰り返してきました。
でも、人よりたくさん考えた人がたどりつける道があるのです。だから、たくさん寄り道してください。新しいものに刺激され知らないうちに脳がはしゃいで、あなたに元気をくれるはずです。「答えさがし」。私たちはきっと“旅”を続けて何かを探しているのです。

ある午後。
一冊の本を読み始め、ついのめりこんで夢中にページをめくっていたら、あたりはとうに薄暗くなっており、しおりをたぐるともう本の半分以上まで来ている。
知らぬ間に随分と時間がたってしまった妙に心地よいワープ感。誰しも経験があると思います。私はテレビマンユニオンで仕事をしながら、そんな時間を探しているような気がします。混沌として価値観が変わりゆく現代を漂流している私たちが、「伝えること」に面白さと創作意欲と使命を感じているように。

まるで、“旅”するように、テレビマンユニオンでの日々は、多彩なジャンルの有名無名の人たちとの出会いや予想を超える波瀾万丈を自分の人生にもたらしてくれています。「気づくこと」の大切さを知りました。これから映像をなりわいとする者たちにとって、「気づくこと」こそが物事の本質に辿れる唯一の手がかりのように思います。

“旅と缶けり“好きなら、テレビマンユニオンに来てください!