岸善幸 ディレクター

1987年、テレビマンユニオン参加。「アメリカ横断ウルトラクイズ」「世界ウルルン滞在記」「情熱大陸」などをはじめ多くのバラエティ、ドキュメンタリー番組を手がける。
40代後半からNHKを中心にドキュメンタリードラマやドラマを演出。
「少女たちの日記帳 ヒロシマ 昭和20年4月6日~8月6日」(09 ATP総務大臣賞)
「開拓者たち」(12年 ギャラクシー賞)「ラジオ」(13 国際エミー賞ノミネート 芸術祭大賞)
15年劇場映画デビュー作「二重生活」を公開。ウラジオストク国際映画祭最優秀監督賞 ニューヨークアジア映画祭審査員特別賞を受賞。第2作となる「あゝ、荒野」(17)で国内主要映画祭の作品賞を受賞。
BSフジ「美しき酒呑みたち」の総合演出としても知られる。

ここでできること

この組織に参加して30年余り。これまで僕はプロデューサーやディレクターとして300本を超える番組に関わってきました。すべていま現在の自分の思考をつくってくれた大切な番組です。
はじめはこの組織が得意としてきた海外取材番組のADからでした。常に新しいことが求められるのがテレビというメディアです。常に取材先はガイドブックに載ってない場所ばかり。歴史も文化も違う国と地域、そこに暮らす人々に触れる取材の旅は僕にとって「日本以外」を知る新鮮な体験でした。ディレクターになってからも僕は夢中で世界各地を飛び回りました。豊かなところ、貧しいところ、富める人、奪われる人、取材を離れてもそこに存在しているだけで学ぶべきことはたくさんありました。
28歳のとき、自分で書いたバラエティー番組の企画に数千万円の制作費がつきました。何人ものディレクターをかかえなければできない規模でした。はじめてプロデューサーとなり、かき集めた後輩ディレクターたちに自信も確信もないまま番組コンセプトを示し、たぶらかし、突っ走り、どうにか放送までこぎつけました。このときスタッフは全員20代。この組織はその編成を不安がるどころか声援を送ってくれました。まさに「やってみなはれ」です。それからは若いディレクターたちと一緒に無我夢中で番組をつくり放送が終わるとまた新しい企画を売り込む日々。
33歳のときでした。自分がプロデュースした番組が国際問題に発展しかねないほど大きなトラブルを引き起こしました。相手国の大使から国民まで公式の謝罪を余儀なくされた僕は責任者としてはげしい非難を浴びせられました。もはや辞職するしか解決の道はない……しかし、しかし、です。僕はいま現在もここ組織で生きているのです。
その後はプロデューサーとしてディレクターとして、バラエティー以外にもドキュメンタリーや旅番組、情報番組、経済番組、生中継、ドラマなどなど、雑食系制作者として生きつづけてきました。そのあいだに出会った人は数え切れません。取材先で涙を流して喜んでくれる人もいれば、靴を投げつけてくる人もいました。視聴率はテレビの宿命です。数字が低くても一緒に若いディレクターを励まし苦楽をともにした局のプロデューサーがいました。一方で上司の一言ですぐに手の平を返すプロデューサーにもあいました。悲喜こもごも、聖も、俗も、いろいろと学んだ時間でした。
53歳になって、遅ればせながらですが映画をつくりました。この組織が出資をしてくれたからです。運にも恵まれ2作目を続けて公開することができました。いま現在は3作目に取りかかっているところです。
とても大雑把になりましたが、僕がここ組織で経験してきたことのいくつかを書いてみました。もしかしたら、時代がよかっただけじゃないのと思う人がいるかもしれません。そう感じる人がいるなら僕は否定します。なぜなら「あらゆる新しいこと、美しいこと、素晴らしいことは、一人の人間の熱狂から始まる」からです。この組織は自立した制作者の集団を標榜してきました。一人で切り拓き熱狂できる人を求めています。ここ組織で夢中になってみませんか。是非。

上野 関一朗 ディレクター

1989年、テレビマンユニオンに参加。「世界ふしぎ発見!」でクイズ職人からディレクターとなる。NTV「おとなの資格」でドッキリ番組初体験、NHK「ヒーロー達の名勝負」2013年 NHK BSプレミアム「BS歴史館~伊能忠敬編」ギャラクシー奨励賞、現在NHK総合「グッと!スポーツ」

その好奇心を大切に

合議・対等・役割分担
こんにちは!2019年度の試験委員長を担当しています。今年55歳。新卒の方々にとっては、 お父さんの世代に当たるのかな?採用に関してまるで自分の子供に対するように今、緊張しています。実は、テレビマンユニオンには、人事部がないんです。毎年、現場のディレクターやプロデューサー達が10名前後の試験委員会を作り採用にあたります。ロケや編集中のそのままの勢いで面接に参加するので、それはそれは熱いのですよ。皆さんの人生の最も大切な瞬間に、僕達も真剣勝負で挑みます。そうそう、この組織は、社長も2年に一度、選挙で決めるのですよ。30数年たって今思うことは、テレビ業界が好き!っていうよりも、このテレビマンユニオンという民主的な雰囲気自体が気に入っていたのかもしれませんね。


テレビ局を作りたい!
大学時代サークルは、弁論部に所属していました。渋谷ハチ公前で拙い演説なんかしていましたね。「世の中を変えたい!」なんて。ニッポンは、バブルの絶頂期。きっと若者が政治にかかわるなんてカッコ悪いと思われていたのかもしれません。当時の憧れは、テッド・ターナー。誰だって?米国アトランタで24時間ニュースチャンネルCNNを一代で立ち上げた人物。そう、無謀にもテレビ局に就職したいというより、「テレビ局を作りたい!」って考えていたんです。しかし当時は、まだ衛星ゆり2号Bも打ち上がっていなくて、CSやケーブルテレビも新卒に門戸を開いていませんでした。そんな時、出会ったのがテレビマンユニオンが主催していたメディア塾でした。塾長村木良彦氏は、僕の質問に対して「オランダなら、300人集まればケーブルテレビ一局作っていますよ」。目からウロコ、衝撃的だった。

クイズ職人からディレクターに・・・
そのメディア塾の紹介で、ひょんな事からTBS「世界ふしぎ発見!」のクイズ職人のアルバイトに。4問作って8万円貰えたかな。世界史が比較的成績良かった僕は、単純にもこれは稼げると思った。しかし、現実は全然甘くない。視聴者の主婦や学生モニターの前でプレゼンしたが、悉く駄目出しの嵐だった。まったく採用されない。ションボリした深夜、ヒントを得ようとVTRの編集を見学させてもらった。深夜3時を過ぎた頃、悩むディレクターの編集機を奪うように、プロデューサーA氏は、5カットを使って5パターンの編集の差を見せた。「お前、どれが一番解りやすいかな?」正直、眠くてどうでもよかったが、A氏は続けて「視聴者は、制作者達がこんな時間にこんな楽しい編集していること知らないんだよな」と笑った。この瞬間、「テレビ局を作ろう!」そんな大それた考え方は止めた。1カット、1カットを大切に紡いでいく。そうやって地味な作業の連続で番組が出来上がっていく。ディレクターになりたいと初めて思った。

好奇心が尽きないあなたへ
僕ら制作者のエネルギーの源は、尽きない好奇心、あらゆる物事に対する興味だと考えます。
政治、経済、動物、自然、音楽、芝居、旅行、スポーツ、恋愛だって。
それも、人生の体験の数によって、変化していきます。
僕が、プロデューサー志向からディレクターへ代わったように。
その逆だってあるでしょう。
そんな変わっていく自分を楽しめる仕事がここにあります。
溢れ出る好奇心をどうにかしたいと思っているあなた!
是非、参加してください
僕達もあなたの熱い思いに真剣に向き合います!
よろしくお願いします。

東 考育 ディレクター&プロデューサー

1997年、テレビマンユニオンに参加。「世界ウルルン滞在記」でディレクターをずっとやっていました。その他だと、「NONFIX」、「情熱大陸」、「プロフェッショナル」やNHKのドキュメント番組がほとんど。基本的にはディレクターで番組を作っていますが、AbemaTV「オオカミくんには騙されない❤」という女子高生の恋愛ドキュメントではプロデューサーもしています。

140色の虹 〜自分はどんな色になりたいのか?〜

雪の降る夜
今日は朝起きたら雪が降っていて、寒いけど本社にきて、溜まっていた精算をして、先週ディレクターをやった番組が放送されたから、取材相手にお礼の手紙を書いて、次にやる番組のリサーチをして、夕方に、マクドナルドで遅い昼食をとって、夜は編集室に行って、プロデューサーをしている番組のVTRプレビューをして、次回のロケ内容を打合せして、また本社に戻って、これも溜まっていた見積書と請求書を作って、ようやくこの原稿を書いてます。現在、23時03分。同じフロアでは、どこかの番組のADさんが、荷物を片付けています。

幼いころの記憶
どうしても、納豆が食べられなかった。その匂いも、味も、食感も、何もかもが嫌いで、誰に勧められても食べれる気がしませんでした。そう思って40年近く生きてきたけど、最近、食べられるようになりました。なぜかというと、匂いは醤油をかけて消し、味は卵の黄身を入れて馴染ませ、食感は白米に混ぜることで噛みごたえを出せたからです。ふふふ。そんなもんだ、とにやける。考えることと、少しの努力。結局は、これが大切だったのです。

何が楽しいかって…
会社に入ったとき、しばらくの間、少し気後れしてました。映画監督とか、新聞に載ってた人とか、颯爽と歩く有名番組のスタッフとか、大声で怒鳴っている人とか、学生時代から映像を勉強をしていた人とか、そんな人ばかりがいるように見えたから。胸を張って誇れる過去のない自分は、「クリエイティブな人たちの中で、果たしてついていけるのかしら?」と思っていました。それでも、20年が経つと、雪の日でも忙しく働いているし、番組を数本抱えながら、偉そうに新人採用HPの原稿を打っているのです。では、この20年の間に何があったのか。自問自答してみると、たいして面白くもない答えがありました。それは「楽しいと思えること」がたくさんあったから。だって、会いたい人や行きたい場所、知りたいこと、伝えたいこと…それが、自分で「企画」を書けば(採択されたらだけど)、叶うのですから。会えるし、行けるし、知れるし、伝えられる。それで給料がもらえる上に、いい作品が作れたら褒められ、評価され、次にやりたいことの実現性も高まって…1日8時間働くと考えた時、これからの人生、3分の1の時間を「働くこと」に取られるわけで、だったら仕事に「楽しさ」や「生き甲斐」を感じられることは、幸せなことで、この会社にはそれがあるから、僕は働いています。

「自分がやりたい作品を作れる」は、本当なのか?
「楽しいと思えること」ともう一つ、大事なことがあります。うちの会社のHPや新人採用のチラシを見ると、「やりたいことができる」みたいな文言が書かれているけど、本当にそうなのか?でも、きっと、その文言の前にもう一言付け足せば、本当のことだと思います。「“努力ができる人”は、やりたいことができる」。諦めたり、投げ出したり、めんどくさがったり…楽をしたがらず、最後まで努力できるって、これも才能の一つです。 「楽しめること」と「努力できること」。この2つがあれば、いまは胸を張れる何かがなくても、なんとかなるもんです。

制作会社は「ブラック企業」なのか?
好きなことをやっている限り、「いい作品にしたい」と思うことは当然のことであって、そのために時間がかかることは厭わないし、少しでも納得できるものを作りたい。だから「ブラック」なんて言葉は意識したこともない。画家が「この絵は●●時間も描いたから、もう完成でいいか」なんて言わないでしょ。それと似た感じだと思います。

自分に見捨てられない自分
中学時代に仲の良かった友達の家のリビングに、額が掛かっていて、そこには「成長とは、変化すること」と書いてあって、この言葉がずっと頭から離れなかった。成長したいし、そのために努力できれば、変わっていける。最近、山本太郎議員が国会で頑張っているけど、彼は10年前までウルルン滞在記で、裸族と一緒にふんどしはいて叫んでいたんだよ。どちらが良いとか悪いとかいうことではなく、変わろうと思えばいくらでも変われるんだってことを見せてくれた人でした。人は一生、自分に期待できる方がいいし、やりたいことを、やったらいい。そうやって生きていきたいし、もっともっと自分を好きになりたい。

誰かが、僕を見ている
努力すれば、夢は叶う、なんてことは言えないけれど、努力は報われる、くらいなら言えます。そういう会社でありたいと思っているし、そう思っている人たちが、他にもいることを知っているから。現在、140名のメンバーがいて、頑張っている人のことを、きっと誰かが見てくれています。だから、良い面も悪い面もありますが、映像を通してやりたいことのある人は、仲間になって欲しいと、強く思っています。創立メンバーの一人、村木良彦さんは「創造は組織する」と言いました。まずは創造したいものが先にあり、そこに人が集まって、集団=組織ができる。それがテレビマンユニオンという会社だと思っています。

大西隼 ディレクター&プロデューサー

1980年生まれ。2008年テレビマンユニオン参加。 <ディレクター> NHK系:『地球タクシー』(兼プロデューサー / 全15編),『奇跡のレッスン』(サッカー編、テニス編、ラグビー編、バイオリン編など),『アナザーストーリーズ 田中角栄編』, 『ニッポンのジレンマ』,『大心理学実験』, 『今そこにある未来 ヒト×AI=∞ 』、TBS『世界ふしぎ発見!』など。 <他> 2010年上海万博 日本館&アジア広場 制作アシスタント、2012年 CX系 連ドラ『ゴーイング マイ ホーム』プロデュース補、2015年 ドキュメンタリー映画『あえかなる部屋』助監督(兼制作プロデューサー)など。

「存在」が '存在'する 謎

東京生まれの次男坊です。
三つ子の魂はアメリカで育まれ、小学生のときに帰国してからは、ずいぶんとゴツゴツした幼少期と青春期を過ごしたものです。「世界に自分がいること、そもそも世界が存在すること」が、ずっと不思議でした。
悩みが尽きない学生時代、サイエンスに光明を見出し、大学院で研究生活へ没入するものの、そのうちに、自我や存在への不思議、通称 "もやもや君"は、科学の世界では晴らすことができないことに思い至る。心身の暗黒時代を通り抜け、"もやもや君" そのものをエネルギーにして生きていく方法を模索を続けていたころ、幸運な転機が訪れる。
当時の彼女が思い悩む彼氏(僕のこと)への不安をバイト先の出版社で口にしたとき、
年配の女性が言ったという。「その子、テレビマンユニオンがいいんじゃない?」
僕は聞いた時、「あ、テレビのエンドロールで見たことのあるカタカナだ」と符合した。
新人選考は、妙なものだった。
一風変わったお題の作文を書かされたり、「過去に存在しない映像」をテーマに取材をさせたり、キャンプ場で野外料理をチームで作らせたり。(でも、入社試験を受けたのはテレビマンユニオンだけだったから、当時はあまり妙だとは感じなかった。)
選考試験の中で、自分が発した言葉をいくつか鮮烈に覚えている。それだけ強烈な問いかけをされたのだろう。(人生において、そのような記憶は他にあまり例がない。)
博士課程修了後、28歳になる年に、テレビマンユニオンの門をくぐった。
足の持病の度重なる手術で、1年目はほとんど病院か家で療養していた。
大きな焦りがあったが、この時に受けた 心的・経済的サポートには、とても感謝しています。映像製作の経験を重ねる中で、もちろん「この世界は、サイエンスの世界とはかなり違う世界だ」と思いますが、その一方で「かなり似ているところもあるな」とも思います。
頭をひねり(あるいは感性を開いて)、企画を発想する。リサーチをし、いい撮影をし(いい実験をしてデータをとり)、編集する(論文を書きまとめる)。
きっとどんな人生を歩んできた人でも、なにがしかのことに向き合いながらゴツゴツ生きてきた人は、きっとその力を発揮できる世界だと思います。
そしてテレビマンユニオンは、やはり妙な組織です。ガチガチなところもあれば、ぐにゃぐにゃなところもある。この世のあまねく組織において、完璧な組織は存在しないでしょう。でも、こんなにも一人一人が目一杯、自らの「つくる自由」のために、もがき続けている場はあまりないかもしれません。ぼくは、この組織の中でもうすぐ11年目。
変化と変貌を繰り返してきた自覚があります。でも今だに心の根っこにあるのは、「存在」への不思議です。だから、仕事が楽しいです。おおくの人は、変化をおそれるものでしょう。謙虚に、真摯に、ラディカルに...変化し続ける覚悟と勇気と、それでも変わらないなにがしかのゴツゴツを抱えているような、
新しい人との出会いを、楽しみにしています。

久保 枝里紗 アシスタントディレクター

1992年東京生まれ。2015年テレビマンユニオン参加。TBS「世界ふしぎ発見!」などのADを経て、現在はNHK「サラメシ」のADを担当。

しりたい、みたい、ききたい、いいたい!

私は入社2年目でアシスタントディレクターをしています。
働いていくなかでこの会社はいいなあと思っていることが2つあります。

1つは知らない世界に出会う感動を知ることができることです。

テレビを見るなんてもう古いという人がいるかもしれません。
でもテレビに映し出される
そこで生きている人たちの汗や涙や笑顔のとうとさは
きっといつの世界も変わらないのでは、と感じています。
私だってtwitterもFacebookもNaverまとめもyoutubeも毎日のように見て
面白くてスゴイ情報には飽き飽きしているけれど
この2年間、仕事を通してさまざまな人や出来事に出会うたびに、その人の生き方に驚いたり、感動したりしてしまい、その感動が尽きることがないのです。

最近はNHK「サラメシ」という番組に所属していて
人様のお昼ごはんをのぞきまくりながら
働くこと、生きることをたくさんの大人から学んでいるのですが、
お昼ごはんを食べて働いている人、つまりあまたいる普通の人たちのドキュメンタリーなのに毎回毎回、取材するたびに「へー!」「ほー!」「そんなことがあるのか!」と感動してやみません。
誰かよりすごいなんて、トクベツな存在じゃなくても一生懸命生きている人がここにいるということを知るだけで、心がきゅんとなるような勇気をもらえるような気がするのです。
自分の知らない輝きに出会うことの感動は、この会社で働くまで知らなかった気持ちです。

もう1ついいなと思ったことは自由があるということです。

テレビマンユニオンでよく聞かれる質問が
「あなたはどうしたいの?」「あなたはどう考えるの?」 これは入社したときから問われ続けます。
何をするかは自分で決めていい、という自由がある。
でもそれは自分に全部かえってくるからその問いはいつも重く私を悩ませます。

それでもここでは、「君の言っていること、よくわかんないよ」と言いながら
一緒に悩んだり考えてくれる人がたくさんいます。
そしてその自由をもって、活躍しているユニークな人たちがたくさんいます。

自分の感じること、好きなことは、そのままでいい、ということがこの会社に入って
一番よかったなと思うことです。

日々、思うように仕事が出来ない、伝えられない、悔しいなあと思いつつ、
それでもがんばりたい!と思い続けられているのはそういう人たちがここにいるからだと思います。

武井佑吏 アシスタントディレクター

2017年、テレビマンユニオン参加。NHK「新日本風土記」などのADを経て、現在は「遠くへ行きたい」のADを担当。

新人のざれごと

日本人ってこなれると単語のアクセントが平坦(?)になると思うのですが、これって伝わるでしょうか。
バンドをする大学時代の友人は『ギター↑』を『ギター↓』と言い、『バイク↑』に乗る会社の先輩は『バイク↓』と言います。これといって嫌悪の気持がある訳ではないのですが「うわっ、乗り慣れてるなぁ」と。
かくいうテレビマン『ユニオン↑』にも、やはりこの法則が当てはまるようで、入社時には『ユニオン↑』だった自分が、『ユニオン↓』と口に出すと何だかこの会社に染まってきているような気がします。

まだまだ1年目。ようやく会社の名が満足に発音できるようになった僕には、この組織のことは正直よく分からず、日々、業務に忙殺されています。
そんな中、一寸の光があるとすれば、周りの大人たちが口々に吐く「早くディレクターになれ」という台詞です。
そんなことを言われても、ステップアップするためには、積み上げなければならないことが沢山あるし、一朝一夕にはいかないのですが…。それでも、きっと、自分のあらゆる想いを形にすることがこの組織の至上命題であって、きっと、この組織にADという人材は、全く求められていないのだと思います(もちろん制作上は必要不可欠です)。

労働に対して敏感な世の中にあって、テレビの仕事の過酷さは充分に流布されています。それがこの業界に就職する懸念材料になっている方がいるとしたら、ADになる人間が求められていないことは、魅力的ですね?

話は変わりますが、僕は今「遠くへ行きたい」という番組を担当する傍らで、学生時代に監督した映画が劇場公開することになり、配給と宣伝活動をしています。
会社とは離れた企画で、一銭の利益もないことなのですが、仕事のスケジュールを調整してくれたり、映画の情報を発信してくれたりと、ぐいぐい後押しをしてくれます。
これも、この組織がディレクターズカンパニーである真骨頂なのかなと、しみじみ感じているところです。

ぜひ、『ユニオン↓』で一緒に働きましょう。

阿由葉 聡子 ロケ&スタジオディレクター

武蔵野美術大学映像学科卒業後、2005年よりテレビマンユニオンに参加。今年で放送32年目のTBS「世界ふしぎ発見!」には、気づけば10年携わっており、現在はロケ&スタジオディレクターをしています。
また、昨年10月から放送しているBS朝日「金曜日くらい褒められたい」では、ディレクターとして番組の立ち上げに携わりました。ふしぎ発見のように、長く愛される番組に育てるべく奮闘中。2歳の男児も育てています。

仕事を生業にして《どう暮らしていくか》

初めての海外ロケは、入社1年目のAD時代、「世界ウルルン滞在記」という番組で行ったトルコでした。リポーターが世界のどこかにホームステイする番組です。慣れないことばかりで、一から十まで先輩ディレクターに教わりながら、何とか2週間を生き延び、いよいよ家族とのお別れという時、私はリポーター以上に大泣きし、カメラの後でエグエグ嗚咽を漏らしていました。とても良くしてくれたステイ先の家族と別れる寂しさも勿論あったけれど、あのとてつもない感動の波の正体は何だったのか。
後から考えてみると、人々の営みへの感動だったように思います。例えば、羊を育てること、パンを焼くこと、子どもの世話をすること、家を修繕すること…。無数の小さな営みが連なり、今この瞬間の暮らしを紡ぎ出したことに感動したように思います。今、この瞬間の普通の暮らしがとても尊いと気づいた最初の体験だったかもしれません。そしてその感動のひとひらを番組、コンテンツにするのがディレクターの仕事だと、自分なりに考えてきました。
あれから11年が経とうとしています。私もディレクターとして何とか食べていけるようになり、伴侶を得て、子どもも産まれました。
11年間この仕事に夢中ですが、しかし、自分が仕事だけの人間にならないように、いつも注意を払ってきました。
なぜなら、意識して丁寧に暮らすとか、自分が大切だと思う人に丁寧に接するとか、自分自身を丁寧に扱うとか、そうしたことが何より大事だということを、私は番組の取材で出会った様々な人の営みから、学んだからです。
今、就活中の皆さんにも、どんな仕事でも、その仕事を生業にして《どう暮らしていくか》を、まず想像してほしいと思います。
私は今、仕事が全てにはなり得ない状況で働いています。子どもはまだ小さいし、どうしたって家族最優先です。そうなって気づいたテレビマンユニオンの良さは「仕事よりコレが大事」と、言うも言わぬも自分の裁量だということです。総活躍とか女性が輝くとか、そんなものは号令がかかってからするもんじゃない、という態度の組織です。だから、チャンスさえ掴めば、自分の好きなことで仕事を生み出せるかもしれない。がむしゃらに働きたければそれも良し。無理に輝きを放たなくともOKです。自分がどうしたいか考えながら、色々な選択をしながら働くには、良い環境だと感じています。
もし、テレビマンユニオンというコンテンツメーカーに興味があれば、そこで自分が何を作り、どう暮らしていくかを、想像してみてください。そして、仕事も暮らしも理想を持ち、その理想に向かえる人に、ぜひ仲間になってほしいと願っています。

加藤 義人 ディレクター&プロデューサー&代表取締役社長

「淋しいのはお前だけじゃない」「2丁目3番地」「幻の町」「プレイガール」「だいこんの花」「男たちの旅路」「俺たちの旅」「岸辺のアルバム」「天皇の世紀」

“旅と缶けり”好きなら…

子どもの頃から、学生時代の頃まで好きだったドラマの名前はすぐに出てくる。
きっと、私が見ていたのは役者の巧みな芝居、卓抜した脚本、ワクワクさせるエンタテイメントの魅力もありますが、何より、それぞれの番組が持つ「時代の気配」のようなものだったのだと思います。テレビマンユニオンに興味を持ったのは、とりわけ「伝えること」に工夫を凝らし腐心している集団で新しいことにチャレンジしているのに、どこか手作り感のある朴訥さと直球な感覚が映像の中に感じられたからです。

映像をめざす若い世代に望みたいことがあります。
あなたの創るものをあなたたちの次の世代は確実に見て成長する。ゆえに、映像のプロフェッショナルとなるものは「次世代の人を創る仕事」であるという使命も忘れてはならないのです。では、映像のプロフェッショナルとは何か?

ひとつのことを徹底的に考え抜く。
ぼくはよく子どもの遊び「缶けり」に例えます。
ある日、空は晴れて輝いた青空は抜けるように高い。
ぼくは「缶」を一つ持って出かけます。
「◯◯君、缶けり、しよう!」
一人一人、声をかけながら広場に走ります。
空き地の真ん中、「缶」の回りに近所の子どもたちが集まってきました。
滑り台の向こうと体育館の裏はダメ、などとその日のルールが決まります。
カーン!と友達が蹴った桃の缶詰の空き缶は鉄棒脇の桜の木の根元まで飛んで行きました。力余って彼のズックも一緒に飛んで大笑いです。上級生も下級生も大騒ぎしながら四方へ散っていきます。
楽しい時間はなぜ早く過ぎていくのでしょう。
ピアノの稽古があるからと一人の下級生が帰っていきました。
その後も塾やそろばんの時間が来ると、一人、また一人抜けていきます。
広場の周囲の家々が夕陽に真っ赤に染まる頃になると、買い物かごを下げた誰かのお母さんが、いい加減にしなさいと、友だちひとりを連れ帰り、あっけなくイチぬけ。そろばんやお習字、お腹が空いた。なんとなく一人ぬけ二人ぬけ、じゃあねの時間がやってきます。最後の3人が遊び疲れて、「缶けり」はしまいです。
ぼくは、「缶」を拾って家へ帰ります。
「缶」を持ち、誰よりも先に広場に向かい、大熱狂して、一番最後に「缶」を持ち帰る。
時間の長さではありません。

人より長く、深く、考えること。
考えて考えて、多くの人がイチぬけた、となってもひたすら考え抜く。
悩みにぶつかると不安です。どうしていい考えが浮かばぬのだろう。
出口が見つからず自己嫌悪に陥る。正直、そんなことばかりを繰り返してきました。
でも、人よりたくさん考えた人がたどりつける道があるのです。だから、たくさん寄り道してください。新しいものに刺激され知らないうちに脳がはしゃいで、あなたに元気をくれるはずです。「答えさがし」。私たちはきっと“旅”を続けて何かを探しているのです。

ある午後。
一冊の本を読み始め、ついのめりこんで夢中にページをめくっていたら、あたりはとうに薄暗くなっており、しおりをたぐるともう本の半分以上まで来ている。
知らぬ間に随分と時間がたってしまった妙に心地よいワープ感。誰しも経験があると思います。私はテレビマンユニオンで仕事をしながら、そんな時間を探しているような気がします。混沌として価値観が変わりゆく現代を漂流している私たちが、「伝えること」に面白さと創作意欲と使命を感じているように。

まるで、“旅”するように、テレビマンユニオンでの日々は、多彩なジャンルの有名無名の人たちとの出会いや予想を超える波瀾万丈を自分の人生にもたらしてくれています。「気づくこと」の大切さを知りました。これから映像をなりわいとする者たちにとって、「気づくこと」こそが物事の本質に辿れる唯一の手がかりのように思います。

“旅と缶けり“好きなら、テレビマンユニオンに来てください!