アインシュタイン 美しい国 日本を旅する

アインシュタイン 美しい国 日本を旅する

徳島県の小さな町の寺にある墓碑に「ここに三宅速、その妻三保が眠る。2人は共に人類の幸せのために働き、そして共に人類の過ちの犠牲となって世を去った」とドイツ語の言葉とアインシュタインの署名がある。
物語は1922年に遡る。
1922年、日本の出版社「改造」からの招待で日本へ向かうアインシュタインが体調不良を訴えます。それを診察したのが同じ船に乗り合わせた日本人外科医・医学博士三宅速(はやり)だった。これが縁で2人は親交を深めた。
世界に名を知られるノーベル賞受賞の天才科学者による日本での講演旅行は爆発的人気だった。番組はその全貌を目にすることのなかった彼の〈日本での旅行43日間の日記〉をもとに、天才科学者の素顔と日本人医師との交流を浮き彫りにしていく。
日本訪問の後、アインシュタインは科学者として平和主義者として、三宅は外科医として世界的な活動を続けた…第二次世界大戦が始まり、アメリカ・プリンストンで研究生活の日々を過ごしていたアインシュタインにとって思いもかけぬ事態が進展します。「特殊相対性理論」の理論から核兵器の発想が生まれたというのです…
ユダヤ系の物理学者シラードの語る言葉に驚きます。悩んだ末に、ドイツに遅れを取らないようにと、アメリカの原爆製造計画を進言するルーズベルト大統領への書簡に署名をしました。アメリカの原爆製造計画「マンハッタン計画」が進みました。
第二次世界大戦、世界平和が遠ざかり、日本ではB29の本土空襲そして1945年、8月広島、長崎にアメリカ軍による原爆投下…
「アー、ヴェー」とアインシュタインは叫び声を上げたそうです。アインシュタインの恐れは現実のものとなってしまったのです。
戦後1955年、アインシュタインはB・ラッセル等11名の学者と共に世界平和のための会議を提唱し、これが{パグウォッシュ会議}へと発展し、現在も続いています。
戦後、三宅速の長男・博からアインシュタインに、米軍無差別空襲による両親の死亡が知らされ、その死を悼んだ言葉が墓碑銘となった。
これは、長崎からお送りする〈日本人外科医三宅速との知られざる交流と、日本の自然を愛し、日本人を愛し、世界平和を願っていた「アインシュタイン・もう一つの顔」〉を描くドキュメンタリーである。
そして2015年11月1日長崎市郊外の伊王島でアインシュタインが導いた世界的平和会議「第61回パグウォッシュ会議」が開かれます。
(村田亨)

出演 関口宏
原案 「アインシュタインからの墓碑銘」
(比企寿美子著/出窓社刊)

脚本・演出

重延浩

VE

井納吉一

編集

三戸摂子

AD

平田早季

スタジオ制作協力

長崎国際テレビ

CG

宮井勇気

音効

佐藤新之介

ポストプロ

イマジカ

海外コーディネート

佐伯弘美

制作P

晴気美穂

プロデューサー

村田亨(テレビマンユニオン)
則松敬一(長崎国際テレビ)