日中2000年 戦火をこえて「前編 知られざる修復のシナリオ」

再放送
2023年2月6日(月)18:20~【BS1】

高校生の時、歴史上の人物のある言葉に打ち抜かれた。
「賀蘭山前に相逢うて、いささか以って博戯せん。臣何ぞ懼ん哉」
時は14世紀南北朝時代。中国、明の洪武帝は日本に「従え。従わねば武力行使も厭わぬ」と手紙を送る。受け取ったのは南朝・後醍醐天皇の息子、懐良親王。彼はこう返事した。
“有難い教えや兵法を中国から学んだが、どこにも「弱い国は攻め滅ぼして良い」などとは書いていない。そんな史にも無き蛮行をしようと言うのか?”
そして述べたのが冒頭の「賀蘭山前に相逢うて~」。東京卍リベンジャーズ風に訳せば
「アンタの国まで出張ってやるから、タイマン張ろうぜ。博打上等。ビビる? 無いね!」
…中国の正史『明史』に記された言葉。マイキー懐良親王に、高校生阿部は震えた。

だが歳をとり、歴史も学んだ今、懐良親王のような威勢だけでは物事は進まないのもよく分かる。実際、日本と明は戦う事などなく、懐良親王は北朝に敗退し(最近の研究では『明史』の発言も懐良親王の発言ではなく別人のものだという)、南北朝を統一した足利義満が日明貿易を始めた。
で、この義満。天皇を差し置き国王を名乗り、明の皇帝に屈服した者として一時は「国賊」扱いされた。でも近年(2010年)、ある資料が義満の知られざる「老獪」ぶりを明らかにした。詳しくは番組をご覧頂きたいが、義満は全く明の皇帝に屈服などせず、貿易の利を得た。そして大事なのは、明も日本を屈服させる事はできなかったが、それをはるかに超えるメリット(これも詳しくは番組を!)を得たこと。屈服と屈辱ではなく、双方がつながりたくて国交を回復する。win-winだ。
白村江の戦い、蒙古襲来、秀吉の朝鮮出兵。歴史を振り返れば激しい戦の時があった。でもその都度必ず両国は国交を回復した。そしてその回復は義満の例にあるように、どちらかがどちらかを屈服させるのではなく、win-winを模索するものだった。
則天武后。持統天皇。永楽帝。足利義満。康煕帝。そして徳川吉宗。誰もが教科書で習う錚々たるメンツによる、喧嘩よりもシビれる、握手のドラマ。ぜひご覧下さい。
阿部修英

出演 浅田次郎

取材

牟田口わか菜 髙村安以
       花田美乃莉

編集

大川義弘