アナザーストーリーズ 運命の分岐点 「傷だらけの天使」~なぜ伝説になったのか~
50年前、「傷だらけの天使」は1974年から1975年にかけて放送された。
20代のやりたい放題のショーケンと水谷豊、日本ジャズ界の至宝・村岡建のブロウするテナーサックスとザ・スパイダースだった井上堯之のカッティングギター、白いヘッドフォンと水中眼鏡、コンビーフと牛乳瓶、カーチェイスとヌードシーン、ビギのスーツとポマード固めのリーゼント、不思議な椅子に座った岸田今日子とレコードから流れるシャンソン…。
「傷天」は誤解を恐れずいえば「どこまでも怪しく」「破綻しまくり」で今では考えられないほどの「粋」と「自由」が溢れていた。
失礼ながら水谷豊さんにこう聞いた。「今やっている作品もあるのに昔話をするのって嫌じゃないですか?」すると…
「20代のあの時と同じことはできないし、やろうとも思わない。70代になっても今だからできることを精一杯やっている。そういう意味では当時も今も同じ。だから昔話に抵抗はありません。何でも話します。でも思い出せるかなぁ50年前ですよ…」と水谷さん。
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撮影本番は「傷天」を見習って現代ではちょっと考えられない手法で撮影をすることにしてみた。
水谷豊さんのインタビューは新宿のとあるBarで撮影した。ここにも50年の歴史がある。実は撮影の時、現場に映像を確認するためのモニターを置かなかった。ディレクターも音声も照明もADも、メイクもスタイリストもマネージャーも、モニターの映像を確認しながら仕事するのが今の映像業界の常識。各部門のプロが間違いない仕事をできるように…。
ではなぜ、今回モニターを置かなかったのか?「傷天」の撮影現場にはモニターを置かなかったと知ったからだ。視点1の証言者カメラマンの木村大作さんからそう聞いた。ちなみに木村さんは現代でも撮影する時、現場に絶対モニターを置かないという。「お前失礼だろ、目の前で役者が芝居してるのに皆、自分の目で見ないで背中向けるって。映像の確認?そんなもんカメラマンの仕事だろぉ」
現場にモニターがない。これが何とも効果的だった。スタッフが一人残らず、水谷さんの顔を見て直接話に聞き入る。次はどんな話が出てくるのか耳をそばだてる。それが熱量になり、証言者の水谷さんを50年前にタイムスリップさせる…お時間あれば、皆さんもぜひ耳を傾けてみてください。
(石井大介)
※番組ホームページ「担当Dから見どころ紹介」より