アナザーストーリーズ 運命の分岐点 万博は時を超えて
「友と教え子」
私は友達がすくない。
引っ越しの多い幼少期を過ごし、生まれた大阪と育った関東の人間関係の築き方の違いに戸惑い続けたまま10代、20代。携帯電話の電話帳を見ても友達よりも、居酒屋と古書店が多くて我ながら呆れる。
しかしすくないのはそう、現実の人間の話。友誼を感じる相手は実は多くいた。
── 過去の中に。
ホームズとロストワールドを書き、妖精騒ぎに騙されたコナンドイルには何度感嘆と共感を覚え、肩を叩いてやりたくなったか。手塚治虫の作品群と、銭湯に行くと言って700キロ逃げたり海外から電話でコマ割りを指定する胆力には共に旅をしたくなったし、司馬遷が史記を著す座右ならば幾らでも雑談に興じられる。残念ながら全員故人だが、その作品やことばに魅せられるあまり、勝手に脳内で対話していたりもした。さらに歴史の中には幾つもの「それを見たかった!」瞬間があり、そこに自分がいたらどんな顔でいるか、何を話しかけるか、などと夢想をいつもしていた。清洲会議なら丹羽長秀か池田恒興がお近づきになれそうだな、正直秀吉どう?とか聞いてみたいなとか。ルネサンスのフィレンツェならやっぱりボッティチェリと飲み歩くのかな、とか。イマジナリーフレンドが顔も形も持つ。おかしな人間だと思うが、しかし過去は遠き別世界ではなく、同じ「人」だから時を超えてつながるものもあるのでは、と思い続けて来た。
そんな私にとって、とびきりやり甲斐のある番組が2015年に生まれた。そう、「アナザーストーリーズ」である。過去と対話し、歴史的瞬間の当事者と出会える。おお。7歳から夢見たことができそうだ。立ち上げの年から喜び勇んで参加した。
2015年4月22日 「マイケル・ジャクソン降臨 スーパースターはこうして生まれた」
2015年8月5日 「宿命のトリプルアクセル それぞれの選択」
2015年9月9日「山口百恵引退 覚悟のラストソング」
2016年4月13日 「華麗なるご成婚パレード 世紀の生中継・舞台裏の熱戦」
2016年6月8日 「パンダが来た!〜日本初公開 知られざる大作戦〜」
2016年10月12日 「知られざるスティーブ・ジョブズ〜伝説のスピーチの真実〜」
2017年6月6日 「兵馬俑は見ていた!〜巨大遺跡に翻弄された人々〜
2017年11月14日 「オードリーとローマの休日〜秘めた野心 貫いた思い〜」
2017年12月5日 「浅田真央 伝説のソチ五輪〜生涯最高得点の真実〜」
2018年7月3日 「We Are The World 〜奇跡の一夜 10時間の真実〜」
2019年1月29日 「羽生結弦 オリンピック連覇〜メダリストたちが語る最強伝説〜」
2020年1月7日 「吉田沙保里が負けた日〜最強伝説の真実〜」
2020年3月31日 「松井秀喜ワールドシリーズMVP 伝説を生んだ4ゲーム」
2021年3月9日 「マラドーナが“神”になった日」
2021年11月2日 「おかえり、ゲルニカ 〜祖国“帰還”までの16131日〜」
Wikipediaを頼りに書いた。あれは誰がまとめて下さっているのだろう。ありがとうございます。あらためて並べてみて思うのは、ひたすらやっている。狂気の沙汰かと思うくらいに。2015年と2017年などは放送の間が1ヶ月も空いていない。尊敬するプロデューサーの深い理解と厳しい期待、ご出演の皆様の情熱に魅せられて、とことんのめり込んで来た。そしてとにかくこの番組で、たくさんの「友」を得た。
そもそも1本目にマイケルジャクソンのムーンウォークをテーマに演出した時、周りで作られていたラインナップは、チャレンジャー号の事故。ダイアナ姫の事故。コロンバインの乱射。セナの事故死…とまあ、「死」ばかり。そんな中ではじめて、人の死と関わらないテーマで作った。マイケルもまた不慮の死を遂げた人でありそちらもテーマに出来たかも知れないが、僕は企画を書くためにいくつものPVを見、曲を聴いて、マイケルをやるなら死の闇ではなく、希望の光をやりたい、と決意して、企画書を出した。マイケルがイマジナリーフレンドとなった。あの時、これで行こう!と言ってくれた初代Pのおかげで僕はアナザーストーリーズをやり続けられたと思う。
そのあとも、オードリー・ヘップバーン、プリンス、マラドーナなどもう話を聞けない、でもイマジナリーフレンドとしてはとびきりの面々をテーマに、のめり込んで作って来た。
の、だけれど。
「イマジナリーフレンドとの対話」をする一方で、この番組を作る過程で圧倒的に魅せられて来たのは、「今を生きる人たち」「生き字引の人たち」にお話を伺えることだった。ご成婚パレード生中継の取材。NHK、日テレ、TBS。中継を担務した3社のディレクターやカメラマンたちにインタビューした。皆さん80歳を超えている。しかし僕を「同じ道の後輩」と見て頂き、遠く大きな背中から振り返って語ってくださるその言葉、表情の輝くこと輝くこと!
浅田真央さん、そして羽生結弦さんというフィギュアスケートの稀代のスーパースターを取り上げた際も、同時代に氷の上で戦ったライバルや、見守った解説者・コーチの方々に取材し、スーパースターがなぜ輝くのか、その光の裏にどんな葛藤と努力と達成があるのかを伺えた。「We Are The World」のハリー・ベラフォンテさんや、ディエゴマラドーナの弟ウーゴマラドーナさんなど、インタビューの後に亡くなってしまい、図らずも貴重な未来に輝くラストメッセージを受け取った方々もいる。
そうした今を生きる、生きた皆さんのインタビューでおこがましくも思ったのは、「生きている人も面白い」ということ。大学院まで歴史を学んでいて過去にシンパシーを感じがちだった僕だが、今輝く人、今生き抜く人の強烈な光に魅せられたのも、この番組の恩恵だった。
── さて前置きが異常に長くなった。
このコラムのお題は「今回の見どころ」。懐古ではない。しかしこう前置かないとならないぐらい、今回は、久しぶりのアナザーストーリーズだ。2015年から2021年まで毎年作っていたが、4年ぶり。なぜこんなに空いたか? 理由は、二つある。
1つは、「友」。この4年、僕は2人の友と集中して番組を作っていた。
1人目は今回のアナザーストーリーズ、視点1の人物、落合陽一さんだ。失敗作だけのプロジェクトXを作ろうと始めた「ダーウィンの海」。コロナ禍のど真ん中で"半歩先の未来"を考えようと始めた「ズームバック×オチアイ」。どんな厄介なテーマも、先が見えないテーマも、落合さんとなら向き合い、ヒントを見出すことができる。これまで共に作った番組は20本以上。未来人かと思うほどの予想予測の深さと、決して偉ぶらないフランクさに惚れ、一生の友としてのつながりを築かせてもらって来た。
もう1人は今回どころか全てのアナザーストーリーズに皆勤するただ1人のひと、濱田岳さん。出会いはアナザーストーリーズだったが、マイケルの野心に、伊藤みどりさんの孤高に、ご成婚テレビマンたちの青春に寄り添う声に惚れ込み、旅を共にすることを願い。有難くもお受け頂き、これまで10度ほど海外に共に旅させて頂いた。コロナ禍直前にニューヨークに旅したのも、コロナ禍から明けて中国に旅したのも、濱田さんと。これまた一生の友としてのつながりを築かせていただいた。
このお二人を筆頭に、オードリータンさんや、我が恩人であり酒友の佐々木蔵之介さん、そしてドラマや演劇にまで手を出し、あらたな友がたくさんでき、そうそう、アナザーストーリーズのナビゲーター松嶋菜々子さんといつかドラマの現場で、という夢も叶って、突き進ませていただいた。(土曜ドラマ「母の待つ里」こちらも是非ご覧ください)
おかげで4年もアナザーを担当していなかったのに、ずっと濱田さんと松嶋さん、アナザーのお二人とは共にいたような気になっていた。
そして、もう1つの理由が「教え子」。僕がアナザーストーリーズを離れている間、同じ組織の後輩たちがたくさん演出をした。初年度は僕がいちばん年下だったが、どんどん先輩たちよりも僕のやる数が多くなり。ゆえに思っていた。「いつか後輩に奪ってほしい」と。おかげで多くの後輩、それも僕が一部分だけでも教えた、育てた、と言える後輩たちが数多くアナザーストーリーズで演出をさせて頂いた。もうこの番組は若者に託そう。そんな思いで、しばらく離れていた。
ならば今回、なぜ4年の沈黙を破ったか。それも答えは、「友」と「教え子」がいたからだ。
友である落合陽一さんは今後もきっと世の中を驚かすことを次々と成していくと思うが、日本で、万博でパビリオンをつくる機会はそうは訪れないだろう。この規模で万博が行われるのは1970年以来、55年に一回のことだ。だから落合さんが1970年万博のことを相当研究され、リスペクトされているのも目の当たりにして来た。1970からのバトンを2025に受けて走り出そうとしている人がいる。この友のだいじな画期を、取材したい。そんな思いで、アナザーストーリーズの企画を書いた。
ただアナザーストーリーズは一つの視点では成立しない。3つ要る。ここで頼ったのも、2人の友だった。NHKエデュケーショナルでデザインミュージアムジャパンなどのプロジェクトを手掛ける倉森京子さん。この4年、たくさんの番組を共にし、すっかり肝胆相照らす仲となった愛すべき友たる倉森さんに、ダメ元で、万博で1番人気のイタリア館が取材できないか頼んでみた。イタリア館に倉森さんのお友達が携わっていることは聞いていたからだ。結果、OK!すぐさま僕はもう1人の友に連絡した。イタリアのコーディネーター、マルゲリータ・サヴァレーゼさん。アナザーストーリーズのローマの休日編で出会い、その後何本番組を共にしたか分からないほど一緒にワイン呑みながら突き進んだ友。ダメ元で交渉依頼したのは、イタリア館の中にあるバチカン館の責任者、リノ・フィジケラ大司教。万博開幕8日後に没したフランチェスコ前教皇の意思を最もよく知る人であろうことはバチカンの記者会見や記事を見て知ってはいたが、超多忙。まさか受けてくれるとはと思いながら交渉したが、我が友マルゲリータさんの世界最強交渉術で、30分だけ時間を頂けた!
そして、もう一つの視点、根来誠教授率いる大阪大学の量子コンピューター開発について最初のきっかけをおしえてくれたのは、教え子。アナザーストーリーズにも一時携わり、いまは離れているもと後輩が、押井守さんが万博に出るイベントがあることを教えてくれた。調べると、そのイベントの全体のテーマが量子コンピュータであること。そして純国産機を開発している根来先生の存在を知る。すぐさま、交渉。先生からは二つ返事で取材了承して頂く。(落合さんも根来先生もとにかく返事が早い!なんならフィジケラさんも。教皇との2ショット写真をマルゲリータさんにお願いしたら、12分後には日本の僕のメアドに届けられた!)
更に先生から、同じ大阪大学で80年前に開発されていたひとつのコンピューターと、その開発を担った教授のことを教えて頂く。ド文系中のド文系の僕に量子コンピューターのことを理解できるか不安に思っていたが、この80年前の話とつなげて取材させて頂いた時に、一気に視界がひらけた。全ては繋がっている。
── かくして、3つの視点は出来た。
あとは番組を観てください、と言って終わろうとしたが、みどころ、というお題にまだ応えきれていないかも知らないのでもう一言足すと、実はこのコラムの題にした「友と教え子」というテーマそのものが、番組の大きな見どころである。
その言葉がつなぐ、1970年万博と2025年万博に通じるものを、落合さんが語った言葉、そしてそれに続く「いま改めて、万博に行く意味」を問うて、答えてくれた言葉は、この先の人類の未来の可能性のひとつを提示しているようなもので、必見だ。
万博やオリンピックというぐらいの大規模なものになると、賛成する人も反対する人もどちらも多いと思う。今回の番組は別段、万博を礼賛もしていない。モチベーションはあくまで、友と教え子だ。
しかし時代を、今を、知る感じる未来を予感する上で万博はかなり面白い取材対象であった。アナザーストーリーズは基本的に過去を扱う番組だが、やがて過去として振り返られることも多くなるだろうこの万博を、いち早く歴史として取材できたのは良い経験だった。会場に行って、あるいはこの番組をご覧になって、ぜひ2025年に日本で万博が行われていることの意味を考えていただければ、と思う。
では、ぜひ、ご覧ください。
阿部修英
※番組ホームページ「担当Dから見どころ紹介」より