BS歴史館 2012年12月放送分
「歴史とは現在と過去との対話である-」
かつてイギリスの著名な歴史家E.H.カーはこう記した。
目まぐるしく変貌する現代社会。政治、経済、文化、ミクロなレベルでは家族、男と女・・・。急速に展開するグローバル化やボーダレス化は、時計の針を猛スピードで進め、現代を生きる私たちはどこに立っているかさえわからなくなる。この時代をどう生き抜けばいいのか・・・明快な答えはない。
しかしひとたび、過去に眼を転じれば、時代時代にまさしく目まぐるしく変わる事象にリアルタイムで向き合い、悩み、格闘した先人たちの等身大の「歴史」がある。
ある日の午後、天野祐吉氏と、“隠居”について話をする。
「平賀源内なんか、26歳で隠居だよぉ」「早っ!さすが、エレキテル・・」と始まったこの話。どうも“隠居”という言葉は、“引退”を意味するのではなく、何かが“始まる”ことを意味するそうだ。
隠居の最盛期は江戸時代。当時、隠居スタートの平均年齢は、40代。「隠居するぞ」と言って、隠居申請をした者には、月々「隠居料」というのが支払われる。そのシステムは、決して隠居を斡旋するというわけではなく、当然の権利として存在しているのだとか。
人々は隠居することを目標に、日々の暮らしである“第一の人生”を、せっせとがんばる。そして、いつか来る隠居生活で、やりたいことをするために、そしてなにより、自分がやりたいことを見つけるために、がんばって働いた。本業と呼ばれることをやっている時期は、隠居の準備期間だったそうな。
40年かけて、やりたいこと探しと、やりたいこと準備。
さて、自分が何をしたいのかを考える最初の時期。現代でいえば、きっと18歳。「将来、何がしたい?」ということを、最初につきつけられる高校の進路相談だろうか。そういえば、高校の時、一時期“何がしたいか分からない病”が蔓延していたが、江戸時代と比べれば、そんなパンデミックも頷けた。
学業・本業・隠居の3つで、人生1回分。問題は、どこをピークにするかということ。江戸時代は「隠居」で、現在は「本業」・・・クライマックスが中盤にくる物語は、読んでいて、後半つらいよな・・・と思いつつ。
最後に“いい隠居とは”。「人それぞれだろうけど、見てると、いい隠居してる人っていうのは、忙しいね。本業してた頃より、忙しい」(五鬼助洋美)